神田祭(かんだまつり)は、東京・神田明神(正式名称:神田神社)で5月中旬に行われる例大祭です。山王祭・深川祭と並ぶ江戸三大祭のひとつに数えられ、さらに京都の葵祭・大阪の天神祭と合わせて日本三大祭にも名を連ねます。約300人の時代行列や数十基の町内神輿が神田・日本橋・大手町・秋葉原を練り歩く姿は、江戸っ子の心意気を今に伝える一大絵巻です。

CHAPTER 01
神田祭とは?天下祭の歴史

神田祭の神輿渡御で黄金の神輿を担ぐ人々
神田祭の神輿渡御
神田祭は西暦奇数年に本祭(大祭)が行われ、偶数年は「陰祭(かげまつり)」として神事のみが執り行われます。これは江戸時代に山王祭(日枝神社)と交互に本祭を行う取り決めがなされたことに由来します。
神田祭が「天下祭」と呼ばれるようになったのは、寛永15年(1638年)に三代将軍・徳川家光が上覧したことがきっかけです。祭りの行列が江戸城内に入ることを許され、将軍自ら観覧する破格の待遇を受けたことから「天下祭」「御用祭」の称号が与えられました。以来、幕府の庇護のもと江戸随一の祭りとして発展し、「祭りといえば神田」と言われるほどの賑わいを見せました。
正式名称
神田神社例大祭。通称「神田祭」
開催時期
5月中旬の約6日間(本祭は西暦奇数年のみ)
会場
神田明神(千代田区外神田)を中心に、神田・日本橋・大手町・秋葉原一帯
氏子町数
108町会。神田・日本橋・大手町・秋葉原など約30の町を巡行

CHAPTER 02
御祭神と平将門伝説

神田明神には三柱の神が祀られています。一の宮に大己貴命(おおなむちのみこと)=大国主命、二の宮に少彦名命(すくなひこなのみこと)、そして三の宮に平将門命(たいらのまさかどのみこと)です。
平将門は桓武天皇の曾孫・高望王の孫にあたる武将で、父の死後に下総国(現在の千葉県北部)を拠点として勢力を拡大しました。やがて関東八カ国を制して「新皇」を称しましたが、天慶3年(940年)に藤原秀郷・平貞盛の連合軍に討たれました。京で晒された将門の首は、伝説では怒りのあまり関東へ飛び帰り、落ちた場所が現在の大手町の将門塚(首塚)とされています。
将門の怨霊への畏怖はやがて信仰へと転じ、江戸の守護神として神田明神に合祀されました。徳川家康が関ヶ原の戦いの前に神田明神で戦勝祈願を行い、見事に勝利したことから、江戸幕府はこの社を江戸総鎮守として手厚く保護しました。神社が現在地(外神田)に遷座したのは元和2年(1616年)のことで、江戸城の鬼門(きもん)(北東)を守る位置に置かれています。
新米パパ
将門の首が飛んで帰ってきたって、すごい伝説ですね。今でも首塚はあるんですか?
カゾイロ博士
はい、大手町のオフィス街の一角に将門塚が現存しています。何度も移転や撤去が計画されましたが、そのたびに関係者に不幸が起きたという逸話があり、現在も大切に守られています。毎年9月には神田明神による慰霊祭「将門塚例祭」が行われていますよ。

CHAPTER 03
神田祭の見どころ ─ 神幸祭と神輿宮入

神田祭は約6日間にわたって行われますが、最大の見どころは神幸祭(しんこうさい)神輿宮入(みこしみやいり)の二日間です。
神幸祭では、鳳輦(ほうれん)と呼ばれる神様の乗り物を中心に、平安装束の行列が氏子町内を一日かけて巡行します。総勢約300人、約30kmの道のりを進む壮大な時代行列で、途中では獅子頭や大太鼓が先導し、華やかな山車(だし)も加わります。日本橋やオフィス街のビルの間を平安時代さながらの行列が進む光景は、東京ならではの不思議な魅力があります。
翌日の神輿宮入は祭りのクライマックスです。氏子(うじこ)108町会からおよそ100基もの町内神輿が次々と神田明神の境内に入り、担ぎ手たちの「セイヤ、ソイヤ」の掛け声が響き渡ります。なかでもひときわ大きな千貫神輿(せんがんみこし)は、その名の通り重さ約4トンに及び、大勢の担ぎ手が一体となって境内を練り歩く姿は圧巻です。
TIP
神幸祭の行列は神田明神を午前8時頃に出発し、夕方に帰社します。沿道での鑑賞は無料で、日本橋三越前秋葉原電気街口付近は間近で見られる人気スポットです。

CHAPTER 04
附け祭と現代の神田祭

神幸祭の行列に華を添えるのが附け祭(つけまつり)です。江戸時代には各町が趣向を凝らした山車や仮装行列を出し、その豪華さを競い合いました。明治以降、電線の架設により大型の山車は姿を消しましたが、現在は曳き物(ひきもの)として大鯰(おおなまず)や花咲か爺さんなどの巨大人形が復活し、沿道を沸かせています。
近年の神田祭は伝統と革新の融合でも注目を集めています。氏子地域に秋葉原が含まれることから、アニメやゲームとのコラボレーション企画が話題となり、若い世代にも親しまれるようになりました。また、神田明神ではIT情報安全守護のお守りも授与しており、テクノロジーの街にふさわしい信仰の形を見せています。
新米パパ
秋葉原が氏子地域というのは意外です。昔からそうなんですか?
カゾイロ博士
はい、神田明神の氏子地域は神田・日本橋から秋葉原まで広がっています。江戸時代はこのあたり一帯が神田の町でしたからね。時代とともに街の姿は変わっても、祭りを通じて地域の結びつきが受け継がれているのが神田祭の魅力です。

CHAPTER 05
神田祭と山王祭の関係

神田祭と山王祭(日枝神社の例大祭)は、江戸時代から「天下祭」として将軍の上覧を受ける格式を持つ二大祭でした。あまりに盛大になりすぎたため、幕府が隔年交互に本祭を行うよう定め、この慣習が現在も続いています。神田祭は西暦奇数年、山王祭は偶数年に本祭が行われます。
両社の関係は競い合いの歴史でもあります。江戸っ子たちは「神田か山王か」と贔屓を争い、祭りの規模や演出で互いに張り合いました。この健全な競争心が、両祭を日本屈指の大祭に育て上げたとも言えるでしょう。
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INFO
江戸三大祭は神田祭・山王祭・深川祭(富岡八幡宮)の三つ。このうち天下祭の称号を持つのは神田祭と山王祭の二つだけです。深川祭は「水掛け祭」の異名を持ち、沿道から担ぎ手に水を浴びせるのが特徴です。

CHAPTER 06
よくある質問

A.
5月中旬の約6日間にわたって行われます。ただし本祭(大祭)は西暦奇数年のみで、偶数年は神事のみの陰祭となります。2027年が次の本祭です。
A.
神幸祭の行列や神輿宮入は沿道・境内から無料で鑑賞できます。特に神輿宮入は神田明神の境内で間近に見られるため、多くの見物客で賑わいます。
A.
JR御茶ノ水駅から徒歩5分、東京メトロ丸ノ内線御茶ノ水駅から徒歩5分、千代田線新御茶ノ水駅から徒歩5分です。秋葉原駅からも徒歩7分でアクセスできます。
A.
東京都千代田区大手町1丁目、三井物産ビル隣の小さな敷地内にあります。神田明神から徒歩約15分です。
『冠婚葬祭 暮らしのマナー大百科』によると、神田祭は東京・神田明神(神田神社)で行われる江戸三大祭のひとつであり、日本三大祭にも数えられる盛大な祭りです。正式には5月中旬の約1週間にわたって行われ、本祭は西暦の奇数年(隔年)に催されます。同書では約200基の神輿(みこし)が神田・日本橋・秋葉原・大手町など都心を練り歩く「神幸祭(しんこうさい)」が最大の見どころだと紹介されています。徳川家康が関ヶ原の戦いの前に戦勝祈願を行い、勝利後に「天下祭」として幕府公認の祭りとなった歴史的背景も解説されています。

CHAPTER 07
まとめ

神田祭は江戸三大祭にして日本三大祭のひとつに数えられる、東京を代表する祭りです。平将門の伝説を背景に、徳川家康の戦勝祈願、天下祭の称号、山王祭との隔年交互開催など、江戸の歴史と深く結びついています。約300人の時代行列が都心を巡る神幸祭と、100基の神輿(みこし)が境内に集結する宮入は、江戸っ子の心意気を今に伝える圧巻の光景です。次の本祭の年にはぜひ足を運んでみてください。